日常と非日常

最近、祭りの夢を見る、2年祭りがないご時世となり、ふと懐かしくなることがあるのだろうか?

元々、自分は祭りがあり山車がある町内に生まれ、子供のころから当たり前のように祭りに参加していた。

そのころの潮来は全盛期で人も金も溢れていて、今でいうコンプライアンスも弱く、何でもありの昭和の時代で楽しかった。

中学になり上下関係、思春期、方向性などの理由から中1から大学3年までは祭りにも町内行事にも参加しなくなった。

この多感な時期に祭りに出なかったのは自分には大きな影響があり、他人には全然影響力などないのだが、

今になっても本質的に祭りが楽しいと思うことはない、仕方なく参加している状態だ、

が、参加するしないは自由だが不参加する決断ができない、腑に落ちない期間が毎年3日前後合わせて1週間くらい続く。

大学4年から参加はしたが、それから色々教わったりして、一通りの役は果たした、若頭もやった、

町内ではやらない役はないくらいやった、祭りをキッかけにコミュニケーションを作れたのは良いことだった。

自分はむしろ、町内よりも商工会や公民館活動で楽しい思いをしたほうが強い、

毎年祭りが始まり、もう2日目になると早く終わらないかな、と思ってしまう、めんどくせえ~、うっせえな~、

つまんね~、情けねえ~、意気地ねえ~、惨めだ~、自分じゃねえなあ~、なんて考えながら時が過ぎるのを待ちわびて。

そこで思っていたのが、1年365日のうちの祭りの3日間なんて非日常、3/365でしかない期間のために、

362/365の日常は発揮しているなら、そんな自分でいいじゃねえか、なんて慰めて・・・

事実、3/365の非日常が362/365の日常を上回ってしまうくらいの祭りの影響力には勝てないのですが、

昨年、今年と2年連続で祭りが中止になり、2年分の非日常がない自分にとっては心地いい現状ではあるけれども、

なぜ、その非日常の祭りの夢を見続けるのだろう、実際はそんなに嫌いではないのかもしれない、

毎年、嫌だイヤだと言いながら、祭りを気にしているのだから・・・

ただ、俺と同じような気持ちの人は同町内にも他町内にも他の町の町内のも必ず何割かはいるはずだが、

公言出来ない、しないだけだろう。このアンチなネガティブな人とも話してみたいなあ,共感するだろう。

その逆の、ポジティブな人たちは、3/365が2年もなくなり、平静を保っていけるのだろうか?

来年だってわからない、コロナで人と接触するのがタブーになっている習慣のなかで、

前の習慣に簡単には戻らないだろう。人という字は支え合って成り立っている、金八先生より

人と人が触れ合って、手を取り合って、交わり合って、気持ち意識し合って。

文字やリモートやお金だけでは本当の支えにはならないでしょう。

写真は懐かしい浜町の雄姿。

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セキグチ ソウゴウサービス
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